COSMIC WONDER Free Press

いっせーの、せ!

Jun 08, 2017 | COSMIC WONDER Free Press 

地球へ遊びに行く仲間たちが、とっておきを小脇に抱えて、約束の場所に集まる。

ぼくたちの間では、『星くずの集い』と呼んでいる。

地球に生まれる前、ぼくたちは必ず、この約束の場所で、とっておきのシナリオを見せ合う。

シナリオは、それぞれの星が、自分の意志でつくりあげる大切なもの。

分厚い辞書のような超大作。羊皮紙一枚だけのシンプルなもの。散文詩でつくられた不思議なもの。

 

彩り豊かな星くずたちのシナリオ、タイミングを合わせて、一斉に見せ合う。

すると、一瞬にしてすべてのシナリオがつながり、関わり合い、無邪気な約束を交わす。

 

「わたしは男で生まれるよ」「じゃあ、わたしは女」

「2017年に会おう」「場所は星と龍にまつわるところでね」

 


ぼくたちが、地球において、今、いる場所。

あたりを見渡せば、すべてがつながり、関わり合っていることが、わかるはず。

もちろん、わからなくても大丈夫。それは、忘れているだけだから。

 

ぼくたちの日々の暮らし。

それぞれのアンテナで、ひとつひとつを感じていく。

ぼくたちが大切なものを思い出せるよう、
毎日のそこらかしこに、たくさんの贈り物が用意されている。

 

ぼくたちが、ぼくたち自身の大切なものを思い出せたなら、

またもうひとつ思い出すことができる。

 

いっしょに、この世界を生きている、無邪気な約束を交わした星くずたちと

タイミングを合わせて、つながり、関わっていること。

 

 

「わたし、あなたのことを叱りつける役にしようかな」

「ありがとう。じゃあ、わたしはあなたのことが嫌いになるのかな?」

「どうなるだろうね。嫌いになってもいいからね」

「そんなことないよ。ぜーったいわたしは嫌いになんかならないからね!」

 

 

約束を忘れた星くずたちは、ケンカをしたり、嫌いになったりするけれど、

思い出しちゃえば、すべてが笑い話になる。

 

 

「あなた、わたしのことを嫌いにならないって言ったのに」

「ごめんね、忘れちゃってたんだもん。おかしいなあ、忘れるわけないと思ったのに」

「でも、実はわたしも忘れてたの。あなたのこと、嫌いだったもの」

「面白いね、ほんとうに。でも、あなたのおかげで会社をやめることができたんだよ」

「そっか。それなら、結果オーライってことになるのかな」

 

 

誰を好きになっても、嫌いになっても、だいじょうぶ。

ぜんぶ、自由に選んでいいのは、地球の醍醐味のひとつ。

 

優劣なんてひとつも存在しない、星くずたちの遊び。

毎晩、夜空に浮かぶ無数の星を眺めれば、ぼくたちはきっと思い出す。

それぞれの輝き、色、在るべき位置と、つながりの距離感を。

 

さまざまなことが起こる毎日は、なにもかもがカンペキ。

ギリギリセーフも、ギリギリアウトも、愛しい贈り物。

 

 

それじゃあ一緒に、シナリオを見せ合った、あの時、あの場所を思い出そう。

無邪気な約束を、再確認しよう。

 

 

いっせーの、せ!

 

こじょうゆうや

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めぐる水とともに

May 18, 2017 | COSMIC WONDER Free Press 

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 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、

 久しくとゞまりたるためしなし。

 世中にある人と栖と、又かくのごとし(1)。

 

 この世界に始まりがあることは明らかとなっている。それは一三八億年前のこととされる。初めに大きな爆発があり、宇宙は拡がりつつ冷め続けている。その拡大と冷却の過程に地球が生まれ、生命が生まれた。原初の様態は混沌としており、時間の推移、エネルギーの減少とともに分化され、秩序が生じ、やがて安定に至る。

 さかのぼれば歴史的にさまざまな原初があった。宇宙の原初、銀河の原初、太陽の原初、地球の原初、生命の原初・・・。あらゆる体系の原初のありようにおいて、原初は常に混沌としている。二〇一六年八月十九日、島根県益田市小浜町の海岸で催されたパフォーマンス「お水え」はそうした原初の様態を想起させ、体感させる儀礼として三十名内外の参加者に働きかけるものとなった。

 

 

 ‪朝八時、その儀礼は始まった。茶会の型式を借りた儀礼である。八月の朝の太陽が東の空を昇る。時をおって陰影がふかく刻まれてくる。参加者は控え所から海岸に沿って東へと、会場の砂浜に向かう。砂浜を四つの巨岩が囲む浄められた空間。巨岩が結界のように空間の内と外とを明確に隔てている。その波打ち際、岩場に設けられた「お水え堂」と称す二メートル四方の板間に和紙が敷かれている。席主は前田征紀と石井すみ子。半東二人。客は三人。客はひとりずつ順に下足を脱ぎ、席につく。波が間断なく打ち寄せてくる。時おり波しぶきを頬に感じる。波とともに海からの風をつよく感じる。

 はじめに席主はこの会の趣旨を客に伝える。「私たちが石見の地を旅するなかで出会った印象をもとに、たくさんの恵みを揃えました。どうぞ存分にお楽しみください。」続いて和紙にしたためた「やまうみかわかみ」の詞を唱える。席主は客に対し、揉みたたまれた傍らの石州和紙を、静かにゆっくりと開いてみせる。和紙には石見で採れた山、海、川の植物や海藻が漉き込まれている。紙の開く音が聞こえる。広げた和紙を両手に掲げ、客のほうへ差しだす。和紙は海風にさらされ、煽られる。その後、客は水菓子をいただく。水菓子には当地の海水から採れた塩が使われている。続いて水が呈される。水は中国山地から日本海へ注ぐ清流・高津川の支流をさかのぼった地の湧き水である。呈する碗は石見の土で作られている。一服ずつ水をいただく。

 客は水を喫した後、お水え堂を降りる。儀礼の間、お水え堂の側では藁製の龍が海水に浸されている。海中より引きあげられたこの藁龍を二人の半東が手に携え、しっかりと足もとを踏みしめつつ、円弧を描いて練り歩くこと七周半。この間、お水え堂に留まる席主が石州和紙の巻紙を手繰りつつ、書かれた文字を唱える。潮騒に紛れて言葉は聞きとることができない。

 終始、打ちよせる海の波動はしぶきと轟音をたたみかけ、次第につよさを増していく八月の朝の陽ざしが悉皆を照らす。厳かな儀礼の空気。四方に配された天然の巨岩の結界。そうした自然の室礼のなか、人為的に進む一連のセレモニー。石見の地の精髄を象徴的に集めた心尽くしのもてなし。水。これらを共有することで生まれるある種の一体感は、神への畏れとともにあった。

 はじめに神が「光あれ」と言って光が生じる以前、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた(2)」世界。「國稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂へる(3)」世界。本来、不可分な自然の、その原初的な様態のなかに入りこんでゆく体験。言葉と概念とが自然の諸要素を対象として分別する認識は、現代に至って久しく支配的で、我々の意識はとっぷりとその世界観に浸かりこんでいる。山、海、川、砂、岩、草、水、空、雲、光、風、音、匂・・・。言葉と概念により分別されたそれらは、本来ひとつではなかったか。かつて我々自身、そのなかに属していたのではなかったか。そしてその原初の様態は、同じ時間的持続のなかに今も息づいているのではないか。そのような直観を喚起する経験だった。

 原初の様態への回帰を印象づけるこの儀礼が「分けられたものの和合」を主題としていることは、儀礼のなかで示された言葉や物にもみることができる。冒頭、唱えられた詞「やまうみかわかみ」は「みなひとつでいたが ときもわからぬころ ふたつにわかれた」で始まり、「やまうみかわひとつとなり」をやま・うみ・かわの三者が繰り返して結ばれる。

 仕立てた着衣は、草木を漉き込んだ「やまかみ紙衣」、海藻を漉き込んだ「うみかみ紙衣」、水草を漉き込んだ「かわかみ紙衣」からなり、はじめに席主が広げてみせた「おとかみ/やまうみかわかみ」には、そのすべてが漉き込まれている。

 加えて「やまかみ紙衣」を海辺寄りの紙漉師が手掛け、「うみかみ紙衣」「かわかみ紙衣」「おとかみ/やまうみかわかみ」を山間地の紙漉師が手掛けていることにも、山と海とを対比的に扱いつつ、両者の和合を意図する志向を読みとることができる。始まりへの回帰を呼び覚ますこと。ここに儀礼の有する本来的な機能の一つをみるのであれば、「お水え」で示された主題はまさにそこに適って儀礼的である。原初の様態を直観させるための道具立てが、意志的に為されて一貫性を得ていることに気づく。

 

 

 島根県西部、石見地方は東西に長く日本海に面し、南を広島県、西を山口県と接する地域である。石見の名の示すとおり、山地が日本海沿岸まで迫っており、平地が少なく、海岸の懸崖に波涛が打ちよせる光景が印象的である。近年では石見銀山遺跡がユネスコの世界文化遺産に、また石州半紙が同・無形遺産に登録されたように、世界的見地からみても特性に満ちた、豊かな文化的環境を備えている。

 「お水え」の舞台となった益田市はその石見地方の西端に位置する。中国山地に源を発し、北流して日本海へ注ぐ高津川の下流域にあたり、石見最大の平野・益田平野を擁する地域である。高津川は国内の一級河川のうち、最高品位の水質をもつことが証された清流として知られる。

 そして益田市域の山間部に位置する匹見町は「お水え」で呈された水の取水地である。標高千メートルに達する山峰に囲まれた山林地帯で、広島県との県境を水源とする匹見川が西流し、下流域で先の高津川に合流する。匹見川によって形成された渓谷・匹見峡は、秋の紅葉のとりわけ美しい景観で知られる。

 匹見町域は歴史的には豊かな自然環境を背景に、一万二千年から三万年前の旧石器時代にさかのぼる人々の痕跡が確認されており(4)、また縄文時代以降の遺跡にも多く恵まれる。とくに紙祖川沿いの河岸段丘上には石ヶ坪遺跡(5)や水田ノ上遺跡(6)といった重要な縄文遺跡が分布している。石ヶ坪遺跡では縄文時代の竪穴式住居や集石遺構などとともに縄文中期から後期に至る多量の土器と石器類が出土した。なかでも九州系の並木式、阿高式の土器片は、当期の人的交流を跡づける資料として注目されている。

 水田ノ上遺跡では、径一メートル前後の配石遺構が径七〇メートルもの環状を為して群集するとともに、土偶・土版といった祭祀遺物、勾玉・管玉などの装身具、土器・石器類が出土している。加えて同遺跡からは、弥生時代の祭器である青銅製の銅戈片が発見されている。形式の類する資料は多く北部九州で出土しており、弥生時代前期頃の朝鮮半島製あるいは最初期の国産品とみられる(7)。稲作文化の東伝に伴い、もたらされた可能性を示唆する見方もある(8)。

 こうした遺構や遺物から、当地における縄文人の生活や交流の実際とあわせ、精神的な営みにも近づけることは意義深い。この歴史的痕跡をふまえて「お水え」の道具立てや特別展で示された縄文的要素に眼を転じれば、それらは自ずと現実の歴史性に依拠して、一層深化した印象を与える存在となろう。

 また「お水え」の最後を祭儀的に締めくくった藁製の龍による舞は、石見地方に古くから伝わる民俗信仰に源流が求められる。先にふれた清流・高津川をさかのぼると、中国山地に位置する吉賀町の水源地に行きあたる。そこは大蛇ヶ池と称される小さな池で、傍らに巨大な一本杉が猛然と樹枝を伸ばし、周囲は湿原となっている。ここで毎年六月、雨乞いの神事が行われ、人々は藁で作った龍蛇を担いで大蛇ヶ池に入り、水に潜らせ、上下に踊らせ、最後に一本杉に掲げるのである。

 また石見地方の各地に伝承される大元神楽でも藁蛇がみられる。大元神楽は地区ごとの祖神「大元神」をまつる神楽で、主に石見地方の山間部に伝わる。この神楽では、大元神を託綱と呼ばれる藁蛇に迎え、とぐろを巻いた状態で祭壇に安置する。そして一夜を通した神楽の最後、この藁蛇を天蓋から吊して激しく揺らし、時によって神懸かりがあり、託宣が得られる。夜が明けると、藁蛇は神送りされ、神木に巻きつけられて鎮まる(9)。「お水え」における藁龍に込められた象徴性をこうした石見の伝統的神事に辿ることで、神と人とがともにあり、親しく交わる世界のあり方にあらためて思いが至る。

 

 

 名付けられ、人格化される以前の神々のありようを茶会の形式を借りて物質化して象徴的に表わし、純粋で極まったもてなしの心を込めて伝達しようとする行為。そこでは主客は明確であり、伝えることの純粋性も際立つ。立ち顕れた原初の様態において、神々はすべてに宿っていた。神性は土地に根ざし、土地土地の集合体としての地球がある。認識の尺度が異なるだけの違いとしてみれば、それぞれの土地と地球ひいては宇宙は同一のものと言える。認識において、尺度のとり方により生じる違いは大きい。時間と空間における認識の尺度を大きく小さく変えることにより、見えないものが見え、気づかないことに気づく。今ここにある一個の碗は、尺度を変えてみれば石見の土であり、分子の集合体であり、さらには素粒子の集まりと見れば、物を物として見る認識はもはや成り立たない。自然の構成物、山や海や川もまた同然である。

 有機体としての人体に湧き水をふるまい、摂取する行為。その湧き水はいずれ人体を通過して自然へと、地球へとめぐってゆく。ふるまいの水はどこから来て、どこへ行くのか。大いなるめぐりの途中に、‪一時の間、私の体にあったこの水は、眼前の海の水であり、大空の雲であり、地下をゆく伏流水であり、山と海をつなぐ川の水である。大地に注ぐ雨であり、大気に含まれる水蒸気である。

 豊かな水に満たされた地球。その水中において、有機的構造をもつ生命は奇跡的に生まれた。その生命の一つの姿である人というものが、海に映る陽光のきらめきを見て美しいと感じることの不思議。またそのことを他者とともに感じることの不思議。夕陽に染まる空や海を見て美しく感じるのは、その瞬間、時間の移ろい、刹那を感じているからだろう。今この瞬間は、今この瞬間にしかないことをありありと目のあたりにできるからだろう。この認識をもってすべてを見わたせば、あらゆる存在は尊い。

 一日が終わり、また翌朝、太陽は昇る。一見めぐっているようにみえて、同じ時間はない。宇宙の始まりからここに至る過程を知れば、時間は常に前にしか進まないことは自明である。めぐり、繰りかえすようであり、一回きりでもある。永遠なる摂理は常に移ろうことである。四十六億年前に生まれたこの星が、五十億年後には太陽とともに存在を終えることもまた人の知るところである。すべてはひとつの宇宙であり、永遠に移ろうものである。

 

椋木賢治(島根県立美術館)

 

 

1 鴨長明『方丈記』岩波文庫

2 『創世記』新共同訳

3 『古事記』岩波文庫

4 『新槙原遺跡発掘調査報告書』匹見町教育委員会 一九八七年

5 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会 一九九〇年

6 『水田ノ上A遺跡・長グロ遺跡・下正ノ田遺跡』匹見町教育委員会 一九九一年

7  前掲 註6

8 『島根県の歴史』四三頁 二〇〇五年

9 『島根の神楽 芸能と祭儀』島根県立古代出雲歴史博物館 二〇一〇年

 

Photography by Yurie Nagashima

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静寂の未知炉、新たに光を灯すよう
第1章

Mar 18, 2017 | COSMIC WONDER Free Press 

Cosmic Wonderが20年を迎えた。
この冬、スタジオごと京都の美山に越して、茅葺き屋根の村落のなかに「竜宮を構えた」前田征紀は取材の前日、朝から夕方まで雪かきに追われていたという。スカイプの画面には障子窓のむこうにこんもり雪をかむった松の木が見えた。そして、木の間には何日かぶりだという青空が覗いていた。
スカイプを通して出会った前田は、20年前にニューヨークで撮影した写真集のことや初めてのパリコレのこと、創造的なことや神秘世界を追求するこころみを語った。Cosmic Wonderのまだ誰も行ったことのない地平を切り拓く精神の先鋭さと、あちらとこちらのあいだで揺れるこころの綾が、時折顔をのぞかせた。過去と、いまと、その先と。

「静寂の未知炉、新たに光を灯すよう」

 

N.H: 今日は前田さんとまず、Cosmic Wonderの初期の10年を振り返ってみたいとおもいます。前田さんは1994年に大学を卒業してCosmic Wonderをはじめたそうですが、創設は1997年なのですね。
Y.M: 美術大学の建築科を卒業したあと、仲間と手さぐりでCosmic Wonderをはじめました。最初のうちは皆働いたことがなくて、独自の方法でやっていたのですが、1997年に方向性を決めて、会社にしました。
 
 
The dress attachable a wall  1999
私たちにもう心の壁は必要ない。
心の壁はどこへ行ったの?
ドレスに貼付けてやったのさ。
悲しみの壁はドレスに貼付けて見せしめにするのがいい。
そして、自由になるのだ。*
 
N.H: 最初の作品がThe dress attachable a wall という写真集でした(1999年11月刊行)。当時東京でまだCosmic Wonderの存在を知る人は少なかったのですが、写真集がオン・サンデーズに大きくディスプレイされていたことはよく覚えています。この刊行に至る経緯を教えてください。
Y.M: 「いわゆる服ではない、創造的なものとしての服」を作って、それを日常のなかで着る、という場面を写真集で出してみたいと思いました。写真集を制作するにあたって、ニューヨークのアクトレスというバンドの人たちを紹介してもらいました。壁付きドレスを着てもらい、ニューヨークの彼女たちの日常のなかで写真を撮りました。
N.H: 4人のモデルさんと、4日間くらい撮影しましたか?
Y.M: そうです。現存しないバンドですが。
N.H: 前田さんが撮影していますか?
Y.M: はい。
N.H: 写真集の最後に4人が「壁のついた服を着てみてどうでした?」という質問に答えていて、それぞれ全く違う答えなのが面白かったです。「すごかった! 壁は思ったより暖かかったわ」「すごく邪魔だった」「夜のおわりに、脱いだの。バンド練習の邪魔だったから」「安心感。着る前は悲しい感じがあったけど、着てみたら突然、すごいなって感じがしたの」。最初期のCosmic Wonderには、作品としてのコレクションラインと、日常着としてのCosmic Wonder Jeansという2つのラインがあって、壁のついた服はコレクションラインでしたね。服に壁がつくというのは実際にはどのように?
Y.M: 壁に見立てたフェルトをシースルーの身頃の生地に針で叩いて一体化させるという、ちょっと変わったテクニックでできていました。身頃の生地は切りっぱなしで、端に樹脂が塗られ、ほどけないようになっていました。
N.H: 「壁と服がくっつく」という要素について伺います。初期のCosmic Wonderに繰り返し現れるテーマに、「服になにかがくっついている」というものがあります。前田さんは当時「白魔術のように、普通なら一緒にならないはずのものを一緒にしてみた」と説明されたこともありますが、服にくっつけられたものとしては壁、ハンカチ、壊れた家電や照明器具、カーテン、引き出しやハンガーなどの家具、などです。それらはすべて人の暮らしのなかにある物で身近なものです。そこから意外な緊張感のある美が生まれていたり、でも実際にその風景を作っているものは着る事のできる、見た目よりじつは着易い服だったりすることがより謎めいた経験を見るものに与えるのですが。意外だけど身近なものを服に付けるという行為はどういうところからきたのでしょうか?
最初に壁だったのは? ベルリンの壁ではないですよね?
Y.M: まず、壁を服にくっつけるという発想は、肉体と何かの間にあるもの、オーラの存在を感じさせたい、というのが最初からありました。精神世界への興味を自分の作るものの中に入れたいというのがあったのですが、どうしたらいいかわからずに。そのころを振り返って今、思うのは自分の身近にあって目に入るもの、つまり日常と、服との関係を考えて、作品にしていたのかもしれません。小さい中に、すごく大きな物を、見ていたのかもしれません。
 
 
Steamer  2000
船に一人の女が乗っていた。
見ると彼女はずたぶくろのようなものを自分の子供のように連れていた。
乗客達は彼女になぜそれをいつも持ち歩いているのか尋ねた。
彼女は、これは子供でもあり救助袋でもあると答えた。
船が遭難した時にその子供は水に浮くそうだ。
乗客達は彼女を変わり者だと思った。
彼女は寂しさと不安を抱えているのか。
しかし、誰よりも彼女はポジティブに見えた。
滑稽でばかばかしいその格好は、船旅行をする彼女の寂しさと不安を彼女なりに解決していた。
これは本当の意味で感情的な彼女がつくったコレクションです。
彼女はいう、“これが私のマリンルック”。*
 
 
Steamer Doll  2001
船にのっていた彼女がドキュメンタリー番組に出ていた。
船からおりて田舎町で暮らしているという。
「田舎の人たちはきらいよ。あたしを見て何をもっているんだとか、この荷物を探ろうとするの。ひどい人になるとこれを奪い取ろうとする人もいたわ。」
彼女は相変わらずあのずたぶくろをもっていた。
「でも、ここの景色が好きなの。あたしの小さな家も気に入っているわ。そしてこの荷物はあたしのおまもりみたいになっているの。すごく気分が落ち着いて幸せよ。まったくこれのおかげね。」
この番組を見ていた女の子が彼女の荷物をまねて、ビニールに空気をいれてそれをスカートにくくりつけた。
女の子は皮肉な笑顔を浮かべてつぶやいた。
「これで幸せになるのかしら。」*
 
N.H: Steamerは初めてCosmic Wonderがパリコレに参加した2000年の作品です。
装飾が多く、今と随分印象が違いますね。Steamer Dollと続いて2シーズン、同じ方向性の発表がありました。
Y.M: ハイヒールだし、オシャレしたオバチャンみたいな(笑)。ファッションに注目しない人のための服のようなもの。当時はコレクションごとに短い詩のようなストーリーを添えて発表していたのですが、この時は幽霊みたいな女の人の物語でした。どこかで会った、どこかにいそうな無名の人というか。ファウンドフォトの印象のようなことを、服をつかってやりたかったのです。
N.H: 唐突に出会う異質なものとの対面というか?
Y.M: グレーな部分を想像をしてしまうような全体感というか。
N.H: パリコレに出て行くということはどんなことだったでしょう? それまでは大阪を拠点とした「写真集」か「写真とビデオ作品」による発表でしたが。
Y.M: 年に2回、必ず作品を作ると決めていました。見せる場所を持つことが必要だったのだと思います。
 
 
Conversation with Electrical Appliances – Broken Radio, Worn-out TV….  2001

 

壊れたラジオや使い古されたテレビを装飾するためのドレス
機能がなくなり忘れ去られたものにあらたな価値観を与える*
 
N.H: その次のConversation with Electrical Appliances- Broken Radio, Worn-out TV….からぐっと、インスタレーション的な流れになってゆきます。ひとつの転換点がConversation…だったと思うのですが。
Y.M: そうです。この頃から、よりつよく「空間」「アート」を考えるようになりました。服を着た人物がいることで、空間にどう影響を与えるか。服だけでなく空間を含めた美しさというものを考える、ということは、今にも続いていることだと思っています。同時に、それは発表を見る人のことだけではなく、服を買った人が、その人のいる空間でどう見えるか、ということへの興味でもあります。
N.H: なるほど。前田さんはパリでも発表した空間の、モデルや観客がいない場面を撮影し記録する、という行為を続けていて、「この空間も作品である」という意識を早いうちから抱いていらっしゃいましたね。今こうして振り返ると自然なことのようですが、あの忙しいパリの日々のなかで敢えてそういう記録行為をするということは、背後に強い意志があったのだなと思うのです。アートとファッションというテーマがさかんに議論され、パリコレ中もファッッションショーではなくインスタレーション形式の新作発表が多かった時代です。
Y.M: 多かったにもかかわらず、ファッションでもありアートにもなりえる、という実感をもてるものはほとんどなかったのです。視覚的に驚くような形状だけではアートとは呼べないと考えていました。実際、アートとしての面白さまで踏み込めたら、すごく面白いものができるのではと思っていました。

*詩のテキストはコレクションにつく当時のコンセプト

 

2017年1月17日

林央子 前田征紀

 

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Steamer  2000

Show at Centre Pompidou, Paris

 

Photography by Nakako Hayashi

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あたらしい服のはなし
− COSMIC WONDERの服着用に関するルポルタージュ

Nov 12, 2016 | COSMIC WONDER Free Press 


岐阜のあおあおとした山が見える部屋で、
川からの風を頬に静かに感じながら
たとえば、COSMIC WONDERの
オーガニックコットンサークルTシャツにふれてみる。
 
まあるいかたち。
うつくしい軽さ。
やわらかい光をたたえた素材。
 
袖を通すたび、太古と未来が
わたしのからだを交差して重なり合い、
「あたらしいきもち」が
わたしのこころを潤していく。
 
COSMIC WONDERの服、それは
わたしたちがもともともっていた、
だが、すっかり忘れきっていた
自分をまるごと信頼し、愛するという感覚、
さらには、未来に体感するであろう感覚の予兆を
服の全体に内包している。
 
見た瞬間にこころは自由になる。
着た瞬間にからだが喜ぶ。
時は「今ここ」だけになり、
あたらしい自分が表出する。
 
(あたらしい自分とは、
まったく知らないわたしなどではない。
わたしの中に眠っていた、
ずっと太古からねむっていたほんとうのわたし。
神性が輝き続けつづけているほうのわたし)
 
あたらしいわたしの、あまりの新鮮さに
おなかの底からよろこびが湧きい出る。
 
 

あたらしいわたしの体験は、
太古の暦を使うことに似て、
宇宙本来のリズムを刻みはじめる。
 
不連続な、不可視な、非合理的な、非二元的な世界。
 
見えないけれど見ることができる
現代のわたしたちが忘れかけていた夢。
 
知ったらたちまち
全身が、内側も外側も、
うつくしい水で満たされるように
わかる。
 
(元来、知っていたことだから−−−)
 
 

COSMIC WONDERの服が、
山深い村でつくられ
ちいさな山の町に並ぶころ
世界はいよいよ、
次の意識へと上昇する。
 
コズミックワンダーの服は
あたらしい意識に寄り添い
あたらしい世界をつくっていく。
 
今日も、今も、この瞬間も。
 
障子をとおした光のやさしさが
人間のからだとこころ
たましいにとって完璧な作用をもたらすように。
 
わたしたちは、今、無に戻る。
 
水から放たれる 静謐な光の粒子とともに

2015年8月8日
服部みれい

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木と人

Jul 01, 2016 | COSMIC WONDER Free Press 

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かつて日本の山には、杣(そま)と呼ばれる人々がいた。

杣とは、山へ入り木を伐り、またそれを運び出すことを生業とする人々である。

 

機械化が進んだ現代と違い、人間の体力と知恵、馬の力のみで険しい自然と巨木を相手にする仕事は危険を極めたが、今となってはそれを想像する事さえ難しくなってしまった。

 

そんな杣の仕事に欠かせない、「ヨキ」という道具がある。

それは一般に言う斧と同じ道具だが、杣の人々はヨキと呼ぶ。

そしてそのヨキには必ず、左面には3本、右面には4本の筋が入っている。

一説には、左側の4本は地水火風の4つの気を表し、それがヨキの語源にもなっているのだという。また反対側の3本の気は、ミキ、つまり御神酒(おみき)を表し、木を伐採するにあたって御神酒の側を木の方へ向け立てかけ、柏手(かしわで)を打ってから仕事にかかるのだという。

 

しかし、本当にそれだけのことなのだろうかと、何かがひっかかっていた。

そんな時、偶然にも続けざまに2つのことを知った。

 

長野県に秋山郷という雪深い集落があり、そこの杣人たちは3と4という数字を畏れ、自分の干支に当たる日から数えて3日目と4日目の日には、決して山へ入らないのだという。しかしその当人達も、ずっとそうしてきたから、という以上の事は知らない。

 

また別のところからは、陰陽道では3は奇数で陽、4は偶数で陰。 つまりヨキには陰陽が表裏の関係で存在している、と教えられた。

 

そこで何かが繋がった気がした。

 

陰と陽とは別のものでありながら、常に一体だ。

ヨキは道具の性質上、ひとつのものをふたつに分けるものであるが、陰と陽とに分ける事により、分けながらにして繋ぐのではないか。木の伐採に関して言えば、伐採され木材になる側と切り株の側との何か(記憶のようなもの)を繋げる意味を持っているのでは。

そして杣人達は、その数字を畏れながら、神性を感じているために山へ入らないのではないか。

 

木材として流通している一本一本の木が、その山々と今だ繋がっているのだとしたら、そんな願いをもって杣と言われる人々が仕事をしていたとしたら。

我々の木の扱いは、本当に今のままでいいのだろうか。

 

2016年3月6日

川合優

 

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ときをいきる籠

Mar 29, 2016 | COSMIC WONDER Free Press 

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日本はかつて大陸と地続きであったが、地殻変動を繰り返し、2万年程前に今の列島が形づくられたと考えられている。紀元前後に新しい文化をもった時代が到来 するまで、縄文の時は1万数千年にわたり続いた。海に囲まれた温順な日本の風土には、南からそして北から点々と繋がる群島伝いに多様な伝来があり、その長い暮らしの間、自らの文化はかたちづくられた。

 

縄文時代には土器や石器など、生活のなかで様々な様式と道具が用いられたが、その1つに自生する植物を手で編み成型した籠がある。
縄文の史を伝える日本各地の遺跡より、籠が出土。その当時の暮らしを知る手がかりとなった。人の手で編まれる籠は、長い時を経た暮らしの変容の中においても、これまでのいのちの歴史の中で重要な役割をしめてきた希有な道具といえる。

 

四季折々の日本列島のくらしの中では、自生する植物もことなり、籠の素材は、真竹、孟宗竹、根曲竹、鈴竹などの竹類、通草蔓、沢胡桃、山葡萄、山桜、つづらなど多岐にわたる。形状、編み方も、その地の暮らしを豊かに反映し各々の個性をたずさえるものとなった。稲作の土仕事に用いるもの、木の実や穀物を採取するもの、海において魚や海苔を採ったもの、くらしのいとなみに応じ、折々に編まれてきた。

 

自然の恩恵と人の手といのちがあたえられ、あたらしい時を生きる籠。素材美の特性をいかした成型の過程には、険しい山での原料の採取から、長い時をかけ生業にたましいを向ける、人の自然への畏敬の思いがやどる。自然と人間のいのちのかさなりに、うやまう心を寄り添わせ、用の美は昇華される。

 

人と自然がともにあり礎が築かれた日本の美意識。光をあてがう人の手が時をいきる籠の物語を継ぐ。長いいのちの歴史と暮らしを編む伝統的な手仕事にわたしたちの源流の光をみいだす。

 

2016年 春分

西澤さちえ

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